歌舞伎町一番街

僕は昔、新宿区歌舞伎町の Club Paradise(クラブ・パラダイス/成田良樹 社長)というホストクラブで働いていました。なぜホストになったのかというと、色々あって借金が数千万円単位にまで膨らんでしまったからです(汗)

真面目に働いたら、完済までに何十年かかるか分かりません。自信ゼロでしたが、学歴も資格も何もなかったので、もうホストぐらいしか思いつかなかったのです。(運よく売れて借金は2年程で完済)

さて今からお話しするのは僕がまだ現役バリバリのホストだった頃のお話です。当時、歌舞伎町でも有名だった名物店長、京助店長(沢木京助)の話をしたいと思います。ホストのイロハを教えてれた僕の師匠でもあります。

とっておきの2本立てでお送りします。現実はドラマより奇なり…。絶対に誰かに話したくなると思いますよ(笑)

【1】エピソード1(銀座のママの話)

着物姿の銀座のママのイメージ

ある日、ウチの常連客に連れられて、当時テレビにもよく出演していた銀座の超有名ママが来店しました。業界ではプライドが高いことで有名で、かなりお気に入りのホストでないと口も利かないという話でした。

見るからに高級そうな着物、手にはエルメスのバッグ、時計にはダイヤが散りばめられており、なるほど見るからに高飛車な感じでした。当然ながら、並のホストでは太刀打ちできません。その席には、京助店長が着くことになりました。店内に緊張が走ります。

いざ、接客開始

「いったいどんな接客をするんだろう…?」みんなが固唾を呑んで見守っていると、京助店長は席に着くやいなや「失礼します」も言わず、いきなりママの着物の中に手を突っ込み、おっぱいを鷲掴みにみしたのです!(笑)

ホントの話です…。
従業員一同、ア然…。
一緒に来た常連客の女も、ア然…。

誰もがブチ切れて帰ると思いきやママは、「あんたなかなかやるわね…まあ座りなさいよ」と言ったのです…。なんとママが、自分の横に座れと言っているではありませんか。

ホストクラブでは一般的に、ヘルプはお客の前にあるヘルプ椅子に座り、お客の横(ソファ席)には指名されたホストしか座ることができないというルールがあります。水商売の世界を知り尽くしたママが横に座れといったのですから、それはすなわちママが京助店長を指名したことになります。

女豹が、まるでメス猫のように…

ものすごいスタートで接客がはじまりました。僕は遠目で見ているだけだったので、2人が何を話しているのかまでは分からなかったのですが、ママは常に背筋とピンと伸ばし、京助店長の方を向いてその話に耳を傾けていました。

そしてその目は、さっきまでと打って変わって明らかに輝いていました。そう、女の目になっていたのです。京助店長はといえば、相変わらずタバコをくわえながら身振り手振りを交えて、なにやら力説しています。そしてママは時折爆笑しては、京助店長の肩をポンと叩いたりしていました。

結局、京助店長はママから正式に指名をもらい、帰り際には現金で10万円のチップを貰っていました。いかに当時のホストクラブが景気が良かったとはいえ、現金で10万円ものチップを渡す客はごく一部です。

胸を揉んだ驚愕の理由とは?

閉店後、僕はダッシュで店長の元に駆け寄り聞きました。

僕「なぜママにあんなことをしたんですか?」

京助店長「ああいう女は、こっちが下手(したて)に出れば出るほどつけあがる。まずは、自分が女なんだということを気付かせてやらにゃいかん。だから乳を揉んだんだよ。俺は男でお前は女、お前より俺の方がエライんだ!ということをまず認識させないとダメなんだ。それができて、はじめてホストとしての接客ができるんだ」

シビれました…。事実は、小説より奇なりとはまさにこのことです。京助店長は相手のタイプを見極め、どうすれば最もいい接客ができるのか?ということを考えた上で、あの奇抜な行動に出ていたのです。「敵を知り己を知れば…」というやつの究極版を見た気がしました。

【2】エピソード2(札幌店での話)

京助店長のイメージ(沢木京助)

これは、僕が敬愛する伝説のホスト、新庄淳(しんじょうまこと)さんが当時代表を務めていたクラブ・パラダイスの札幌ススキノ店での話です。オープンしてから半年ほど経った頃、僕と京助店長と他数名のホストで、店を視察に行くことになりました。

当時(1998年頃)、北海道にホストクラブは殆どなく、50人ほどいるホストの大半が新人同然という状況だったので、色々と教えようということで、行くことになったのです。ニ日間、一緒に接客をしながら指導する予定でした。

物珍しさもあってか、超大箱にも関わらず連日満員になるほどの店に成長していたのですが、当日は本場歌舞伎町の店長が来るということで、店はいつにも増してごった返しました。待合室にすら入れないお客さんもいたと記憶しています。

いざ、接客開始

京助店長が店内を巡回しながら、様子を見ていきます。竹野内豊に似ているそのルックスに所々で歓声が上がり、握手を求めている女性客もいました。

「一体どんな接客をするんだろう…?」そこにいる誰もが固唾を呑んで見守っていると、店長は布袋寅泰のバンビーナの曲にのせながら1人でステージにのぼり、素っ裸で踊りだしたのです!(笑)

従業員一同、ア然…。
来ていた客も全員、ア然…。
僕等はいつもの事なので、普通に爆笑(笑)

そう、実は京助店長は歌舞伎町では、全裸ダンスする事で有名な人だったのです。ホストのクセに脱ぐって、ありえないですよね?僕もはじめて見た時はビックリしました。

でも、京助店長が脱ぐと、店は大爆笑に包まれます。「カッコイイのに脱ぐ」という行為が、ギャップがあるんだと思います。札幌のお客さんも最初こそ戸惑っていたものの、曲の最後の方では爆笑していました。

1日目の閉店後

そして閉店後のミーティング。現地、札幌パラダイスのホスト達が発した言葉は、意外なものでした。みんな口々に「クヤシイです!」と言ったのです。理由を聞いてみると、以下のように答えてくれました。

「京助店長は、100人近くいるお客さんを同時に接客しました。しかも全員が大爆笑です。今日来たお客さん全員が店長の顔と名前を覚えたでしょう。店長は今日はじめて札幌に来たのに、自分達は全員負けました。こんなに悔しいことはありません。」

2日目がスタート

そして次の日。京助店長が前日と同じようにバンビーナに合わせて全裸で踊ろうとすると、「くやしい」と言っていたホスト達が次々とステージに上がり、一緒に全裸で踊りだしたのです!(笑)

その輪は次々と広がり、曲が終わる頃には、50人ほどのホスト全員が全裸になってステージで踊っていました(笑) あんな光景は、おそらく一生見れないと思います(笑) お客さんも相当ウケてました。この話は、当時のススキノを瞬く間に駆け巡ったと、後に聞きました。20年以上経った今でも、この「事件」は伝説として語り継がれているということです。

なぜ脱いだのか?ということは京助店長には聞いていないですが、おそらくは「接客とは何か?」「ホストとは何か?」ということを身をもって教えようとしたのだと思います。

写真を掲載できないのが非常に残念です…。以上、本当にあったホストの裏話でした。また思い出したら、書きますね。